読売ジャイアンツで内野手として活躍する坂本勇人さん。
坂本勇人さんの母親は47歳という若さで亡くなっており、その死因は小腸癌という病気で亡くなったと言われています。
そんな亡き母と坂本勇人さんのエピソードや命日秘話についても詳しくみていきます。
ここでは、「坂本勇人の母親は小腸癌の病気が死因!母子家庭のエピソードや命日秘話!」と題してご紹介していきますね。
坂本勇人の母親は小腸癌の病気が死因!
坂本勇人さんの母親・松村輝美さんは2007年6月19日に亡くなられました。
松村輝美さんの死因は小腸癌と言われています。
坂本勇人さんは2006年9月に行われたドラフト会議で読売巨人に1位指名され翌年入団しました。
その時にはすでに松村輝美さんは自身の病気を知っていたようですが、息子である坂本勇人さんには伝えていなかったようです。
息子に心配をかけたくなかったのかもしれませんね。
小腸癌は早期発見が難しい癌と言われており、手術をしても生存率は20%ほどの回復が難しい病気とされています。
そんな病気を患っていた松村輝美さん。
余命宣告を受けながらも、坂本勇人さんのプロ入りを見守っていたのは凄いですね。
坂本勇人の家族構成
坂本勇人さんは3人兄弟の次男として育ちました。
長男:勇太さん(6歳年上)
三男:勇斗さん(3歳年下)
坂本勇人さんは6歳年上であるお兄さんの影響で野球を始めました。
プロ野球選手坂本勇人選手の兄弟2ショット!弟の勇斗さん!!坂本選手は3兄弟!とても仲が良いのです!!#坂本勇人#坂本勇斗 #坂本勇太 pic.twitter.com/ajN6iUHGFe
— 炭治郎 (@AAA_Tanjiro) July 8, 2020
そんなお兄さんは右利きで、元々左利きであった坂本勇人さんは兄のお下がりのグローブをもらったことで右投げになったと言われています。
また、坂本勇人さんの弟は2013年に上京して坂本勇人さんの運転手兼個人マネージャーとして兄を支えています。
弟の勇斗さんは坂本勇人さんと年が近かったため、小学校の頃から放課後ランニングにも付き合ったり、現在ではオフの自主トレの相手までしたりとかなり坂本勇人さんを支えています。
坂本勇人さんの兄弟は仲が良いですね!
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坂本勇人は母子家庭で育つ
坂本勇人さんの母親である松村輝美さんは鳥取県出身で背の高い美人な方でした。
離婚時期や離婚理由については詳しくは分かりませんでしたが、坂本勇人さん自身父親と交流していることや、名前も父親の名前を使っていることから仲が悪くなったわけではなさそうですね。
坂本勇人さんの父親は坂本喜代三さんといい、アメリカのシアトルで牧場経営に携わっているお仕事をされています。
そんな喜代三さんは年に1度か2度しか帰国しない生活をしていた時期があると話していたため、家族とはすれ違いの生活をしていたのかもしれません。
もしかするとそのこともあり、松村輝美さんは離婚を決意したのかもしれませんね。
父親とのエピソード
坂本勇人さんと父親の喜代三さんは、坂本勇人さんが幼い頃野球を一緒にした記憶はほとんどないことを話していました。
喜代三さんはシアトルで仕事をしており、日本に帰国するのは年に1度か2度ほどだったようです。
坂本勇人さんは喜代三さんと輝美さんが離婚した後も、喜代三さんとの交流を続けており、親孝行をしていると喜代三さんは話していました。
2018年に喜代三さんが肺がんを患った際には医者を探して手術を受けるように説得をしたり、父親のためにBMVを購入してプレゼントすることもあったようです。
そんな坂本勇人さんのプレーをする姿を見るのが1番の楽しみと話す喜代三さん。
坂本勇人さんと父親の喜代三さんが仲良しである事が伝わりますね。
父と息子ですから、改まって何か言うことはありませんが、親孝行な子です。
引用:サンスポ
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坂本勇人と母親のエピソード
読売ジャイアンツで活躍する坂本勇人さんと亡き母である松村輝美さんとの間にはいくつか素敵なエピソードがあります。
ここでは坂本勇人さんと母の松村輝美さんとのエピソードについて詳しくみていきますね。
闘病中も試合観戦していた
坂本勇人さんは2006年9月に行われたドラフト会議で読売ジャイアンツに1位指名され、翌年に入団しました。
しかし、母親である松村輝美さんは2007年6月19日に47歳という若さで亡くなってしまうのです。
松村輝美さんの死因は小腸癌と言われており、坂本勇人さんがドラフト会議で指名される数週間前から病気は発覚していたそうです。
病気が発覚した後も坂本勇人さんには病状を伝えずにドラフト会議に挑んでおり、翌年に亡くなってしまいます。
そんな松村輝美さんは闘病中も坂本勇人さんの試合を車椅子で観戦しにきていました。
母は、坂本勇人さんが小学生の頃から野球の試合を観戦して応援してくれた優しい方でした。
元DeNAヘッドコーチ・高木豊さんのYouTubeチャンネル「TAKAGI YUTAKA」に出演した際、母への思いを語られています。
松村輝美さん自身、とても気が強いと坂本勇人さんは話しており、坂本勇人さん自身もその気の強さは受け継いでいるそうです。
松村輝美さんはプロ1年目に亡くなられたので、坂本勇人さんの1軍でのプレーをみていないそうで、それだけが坂本勇人さんの心残りだと話していました。
息子に心配をかけないようにする母親の気持ちは胸に響きますね。
母の日に捧げる打撃
坂本勇人さんは2024年5月12日に行われた試合で、ピンクのグローブとピンクバットを身につけ試合に臨みました。
この日は母の日仕様で試合に臨んでおり、通算2351安打となるヒットを放ちました。
2007年に病気で他界した母親を思い、バットだけでなくスパイクや打撃用手袋もピンクにしました。
そんな母親との思い出は、感謝でいっぱいと話していた坂本勇人さん。
野球を始めた当初、左利きだったにも関わらず兄の右利き用のグローブを母親から与えられ右投げになりました。
野球を始めたとき、左利きだが右投げ用の兄のグラブを母から与えられ右投げになったから今がある。
引用:日刊スポーツ
この日は母親である松村輝美さんのことを思い試合に臨んだのかもしれませんね。
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坂本勇人の母親の命日
坂本勇人さんが母親である松村輝美さんの命日に起こした奇跡が話題となりました。
松村輝美さんは2007年6月19日に亡くなりました。
幼少期より母子家庭で育った坂本勇人さんにとって母親の存在はかなり大きいものでした。
そんな母親の命日である6月19日は坂本勇人さんにとって大切な日です。
松村輝美さんが亡くなって14年目の2021年6月19日。
坂本勇人さんはプロ15年目で史上65人目となる通算250本の本塁打を打ち、記録を更新しました。
この日は甲子園球場にて阪神対巨人の試合でした。
母親の命日の日に記念すべき250本塁打の記録を叩き出したのはかなり凄い事ですよね。
試合が終わった後に坂本勇人さんは、
今日もどこかで見てくれているのかなと思います
と話していました。
とても素敵なエピソードですね。
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まとめ
「坂本勇人の母親は小腸癌の病気が死因!母子家庭のエピソードや命日秘話!」と題してご紹介してきました。
坂本勇人さんの母親は早期発見が難しいとされる小腸癌という病気が死因となり、47歳という若さでこの世を去ってしまいました。
また、坂本勇人さんは幼少期より母子家庭で育っており、母親とのエピソードや命日秘話は素敵な話ばかりでしたね。
坂本勇人さんは現在、読売ジャイアンツで内野手として活躍しています。
今後も坂本勇人さんの活躍に期待していきたいですね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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