【顔画像】元木大介の若い頃はどう凄かった!?モテモテ秘話や活躍ぶりを調査!

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元プロ野球選手、そして2025年現在はタレントとして活躍しているのが元木大介(もときだいすけ)さん。

プロ野球選手だったのに飾らない性格であり、軽快なトークで今もファンが多い選手ですね。

そんな元木大介さんは若い頃はどう凄かったのでしょうか?

この記事では、

・【顔画像】元木大介の若い頃がイケメン!
・元木大介の若い頃はどう凄かった?モテモテ秘話
・元木大介の若い頃はどう凄かった?活躍ぶりを調査!

について解説していきます!

目次

【顔画像】元木大介の若い頃がイケメン!

元木大介さんの若い頃はイケメンでした。

元木大介さんですが、2025年の現在も十分にイケメンですよね。

年齢は50を過ぎておりおじさんではありますが、逆にそれが渋みを増した十分イケオジと言えます。

そしてそれは若い頃も同様であり、元木大介さんは若い頃からイケメンでした。

元木大介さんの若い頃ということで、高校生当時の顔画像がありました。

引用:婦人公論

野球部ということで当然坊主なのですが、それでも十分にイケメンなことがわかります。

後述で詳しく解説しますが、元木大介さんは甲子園のスター選手。

加えてこれだけイケメンということで当然人気もすさまじいものでした。

その当時の様子についても紹介していきます。

元木大介の若い頃はどう凄かった?モテモテ秘話

元木大介さんの若い頃の人気は社会現象になるほどであり当然モテモテでした。

元木大介さんのモテモテ秘話としては以下が挙げられます。

秘話①:甲子園で大フィーバー
秘話②:ファンレターもたくさん

それぞれ紹介していきます。

秘話①:甲子園で大フィーバー

元木大介さんは大阪府出身であり、高校は私立の上宮高校です。

こちらは野球の強豪高校として知られており、多くのプロ野球選手を輩出しています。

元木大介さんはこの上宮高校で計3回の甲子園に出場しており、特に3年生の夏の甲子園ではその人気の高さから甲子園で大フィーバーが起きました。

甲子園では斎藤佑樹さんなど、時として出場選手の大フィーバーが起きますよね。

まさに元木大介さんもその当事者だったということですね。

しかも元木大介さんのフィーバーっぷりはすごいものであり、甲子園の開会式では混乱を避けるために上宮高校だけ隔離待機という措置がとられるほどでした。

特別措置が取られるなんてどれだけ人気だったかがわかりますね。

秘話②:ファンレターもたくさん

甲子園はもちろんのこと、元木大介さんは地元でもモテモテでした。

部活の練習中はもちろんのこと、授業中にも他校の女子生徒が押し寄せるほどだったのだとか。

また、当時元木大介さんは電車通学をしていたのですが、その中でポケットに何通もファンレターが勝手に入れられていたということも。

ご自身でも超モテモテだったと話す元木さんですが、2023年12月10日に放送された日本テレビ「サンデーPUSHスポーツ」では次のようにすごいエピソードを語っています。

「何時に、何両目に乗っているというのがバレてしまって。ファンレターを勝手に学生服のポケットじゅうに入れてくるんです」

中略

「誰が入れたか分からない。この子、かわいいなと思っても、どれか分からない」

引用:スポニチアネックス

学生服のあらゆるポケットにたくさんのファンレターが入っていたというから驚きです。

ファンレターをもらうのは嬉しいかもしれませんが、勝手に入れられてしまったらちょっと困ってしまいますね。

さらに、学校にも大量に届くファンレター。

全部読めなかったため、こんな秘策があったと披露していました。

それは、

写真が入っていそうなものを封筒の上からさわって確認して、入っていそうだったら開けて読んだ。

というもの。

このように元木大介さんは若い頃はモテモテでした。

まあ甲子園のスターであり、イケメンということでモテないわけはないですね。

元木大介の若い頃はどう凄かった?活躍ぶりを調査

元木大介さんの人気はすさまじいものでしたが、もちろん野球での活躍もしております。

そんな元木大介さんの活躍を続いて紹介していきます。

まずは元木大介さんのプロフィールです。

元木大介のプロフィール

氏名:元木大介(もときだいすけ)

生年月日:1971年12月30日

出身地:大阪府豊中市

身長:180cm

体重:83kg

投球・打席:右投・右打

ポジション:内野手、外野手

所属:上宮高校→読売ジャイアンツ

元木大介さんは大阪府出身の元プロ野球選手です。

若い頃の活躍ということで高校とプロになってからで分けて紹介していきます。

高校時代:上宮高校

上記のように元木大介さんは甲子園のスター選手でありモテモテでしたがそれも野球の才能と実力があったからです。

強豪上宮高校の中心人物であり、内野の花形ショートを守っていた元木大介さんは走攻守そろった選手として知られていました。

3度の甲子園出場で放ったホームランは6本。

これは甲子園、プロ野球と大活躍をした清原和博さんに次ぐ歴代2位の記録となっています。

もちろん守備だけでなく、ショートの守備も一級品であり、スター性の塊。

プロの評価も高く、早くからドラフト1位が確実と言われていました。

元木大介さん自身もプロに進む意志を示し、読売ジャイアンツを希望と公言します。

ただ実際は指名の都合により、福岡ダイエーホークスが外れ1位で指名。

元木大介さんの入団については連日大きく報道されましたが、結果的に元木大介さんはホークスへ入団拒否をし、ジャイアンツに入団するために1年の野球浪人をします。

そして翌年の1990年、読売ジャイアンツに1位指名をされ、無事に希望のジャイアンツへの入団となりました。

プロ野球時代:読売ジャイアンツ

まさに鳴り物入りでジャイアンツに入団した元木大介さんでしたが、プロでの活躍は目立ったものではありませんでした。

それでも通算安打数としては891本とそこそこの数の安打は打っています。

元木大介さんの現役時代はレギュラーというよりはスーパーサブという立ち位置でした。

ただその中で、相手の裏をかくプレースタイルを持ち味としていて「くせ者」というニックネームで親しまれました。

現役時代、曲者と呼ばれた元木大介さん

まさに記録より記憶に残る選手であり、元木大介さん=くせ者というイメージを持っている人も多いのではないでしょうか。

そして2005年に戦力外通告を受けると、巨人一筋を貫き現役を33歳で引退。

その後はタレントやコーチなどを務め、2025年現在はYouTubeやレポーターとしても活躍をしています。

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