ベテランとして球界で長く活躍されているのが中日ドラゴンズの涌井秀章(わくいひであき)さん。
今もなおそのいぶし銀の投球術でファンを魅了していますよね。
そんな涌井秀章さんの実家や家族構成についてが気になります。
この記事では
について解説していきます!
涌井秀章の実家はどこ?
まず涌井秀章さんのプロフィールを紹介していいきます。
- 氏名:涌井秀章(わくいひであき)
- 生年月日:1986年6月21日
- 出身地:千葉県松戸市
- 身長:185cm
- 体重:85kg
- 投球・打席:右投・右打
- ポジション:ピッチャー
- 所属:横浜高校→埼玉西武ライオンズ→千葉ロッテマリーンズ→東北楽天ゴールデンイーグルス→中日ドラゴンズ
上記のように涌井秀章さんは千葉県出身であり、地元は松戸市になります。
なので実家も松戸市にあるはずですが、詳しい場所や住所などはわかりませんでした。
これはプライベートのことなのでしかたないですね。
そして涌井秀章さんは両親と姉を含めた4人家族です。
その詳細は以下のようになっています。
父・孝さん
母・たつ子さん
姉・ひとみさん(2歳上)
弟・涌井秀章さん
一姫二太郎の一般的な家族ですね。
プロ野球選手の場合、通説では次男以降が多いとされています。
それは弟が兄の野球をしている姿を見て野球をするからです。
ですが涌井秀章さんの場合、お姉ちゃんがいるということでこれには当てはまらないですね。

続いて涌井秀章さんの家族について詳しく解説していきます。
涌井秀章の実家の父親はどんな人?職業は?
涌井秀章さんの父の画像についてはこちらがありました。
画像の一番右の人物が涌井秀章さんの父・孝さんです。


昔ながらの父親というか、ちょっと怖そうなお父さんですね…笑
実際、父・孝さんは厳しい方だったようで涌井秀章さん自身も以下のように回想しています。
怒られた時は家の外に出され、平手打ちや尻をたたかれた。
引用:日刊スポーツ
また、小学生から高校生の子供時代に決め事は親が決めていたと語っています。
「自分で決めたのは、小1の時にソフトボールを始めた時だけ」と笑った。
「中学の時にシニアのチームに入ったのも、横浜高校に入ったのも決めたのは親」
引用:日刊スポーツ



中学でシニアのチームに入ることや横浜高校への進学も親が決めたとのこと。
(後ほどご紹介しますが、母親は陰ながら見守るタイプの方ですので、おそらくこの「親」というのは父親だった可能性が高そうですね。)
人によっては反抗してしまいそうな教育ですが、涌井秀章さんは現在プロ野球選手として立派に活躍されています。
なので子である涌井秀章さんと真剣に向き合って、涌井秀章さんのことを考えた教育方針だったのかもしれませんね。
また父・孝さんは職人さんでもあります。
建具屋の職人だった父
引用:日刊スポーツ
建具ということで戸や窓などのつがいや扉の可動部分を作っていたということですね。



なんとなく見た目からも職人のような感じがしますし、腕一本で家族を支えていたというのはかっこいいですよね。
そんな父・孝さんは涌井秀章さんがプロ野球選手になったルーツでもあります。
少年時代の涌井秀章さんは父・孝志さんとの練習に明け暮れていました。
週に4回、朝6時からキャッチボールをして練習をしているほかにも、父・孝志さんは夜にも涌井秀章さんの練習に付き合ったそうです。



職人仕事で忙しいですし、疲れていても子供の野球の練習に付き合ったのはやはりそれだけ愛情を持って接していたのでしょうね。
涌井秀章の実家の母親はどんな人?職業は?
涌井秀章さんの母親・たつ子さんはこちらの右から2番目の方です。


やさしそうな雰囲気で、美人の方ですね。
また涌井秀章さんにも似ており、涌井秀章さんは母親似のようですね。
ちなみに若い頃の画像もありました。
「松戸第六中」の入学式の日に撮影された涌井秀章さんと母・たつ子さん


ただ残念ながら職業などについての情報はありませんでした。
そんな母・たつ子さんは父・孝さんとは対照的に涌井秀章さんを優しく接していました。
野球を続ける場合、父だけでなく母のサポートは必要不可欠です。
実際、涌井秀章さんは子供の頃は好き嫌いが多かったそうです。
が、たつ子さんは体調面や食事面で涌井秀章さんのサポートを行い身長が185cmと立派な体格に育てています。



そして母・たつ子さんは厳しい父親のもと野球をやる涌井秀章さんをかなり心配していたようです。
涌井秀章さんは今も投球の際にほとんど感情を出さないポーカーフェイスとして知られています。
これは子供のころからだったようで母・たつ子さんには涌井秀章さんが野球を好きなようには見えなかったとか。
そのため、涌井秀章さんに野球を辞めていいということを伝えようとも思ったそうです。
あの子に『嫌だったら、辞めてもいいんだよ』っていう内容の手紙を書いたことがありました。渡さなかったですけど 。
引用:スポーツ報知
もし両親ともにスパルタだったら涌井秀章さんは野球を辞めてしまっていたかもしれません。
涌井さんは2004年の甲子園準々決勝敗退後に、たった一度だけ母に長文のメールを送ったことがあります。
「いつも遠いとこ応援に来てくれてありがとう」から始まる文章に感謝の思いを込めた。
引用:日刊スポーツ
その時のメールを読んだお母さんは涙が止まらなかったそうです。



父・孝さんとは対照的な母・たつ子さんの存在があったからこそ、涌井秀章さんは野球を続けられたのかもしれませんね。
涌井秀章の兄弟姉妹など家族構成を調査!
姉・ひとみさんについては顔画像などの情報はなく、現在の状況についても不明です。
ですが、涌井秀章さんは幼い頃はかなりのお姉ちゃん子だったようで、そのことからも姉弟で仲が良いことがわかります。



姉・ひとみさんから見てもプロ野球選手として長く活躍する涌井秀章さんは自慢の弟でしょうね。
また、涌井秀章さんの妻は元モデルの押切もえさんです。
涌井秀章さんと押切もえさんは2016年に結婚。
- 2018年:第一子
- 2021年:第二子
が誕生しており、夫婦円満な家庭として知られています。
押切もえさんも涌井秀章さんと結婚以降は仕事をセーブしながら、涌井秀章さんのサポートをしています。
涌井秀章さんが長く活躍できるのも押切もえさんと子供の存在が大きいでしょう。
野球選手という職業上、シーズン中は家を空けがちになってしまう涌井さん。
そんな自分を支えてくれる家族に対して感謝の気持ちをコメントしていました。
「寂しい思いとかをさせてると思うので、その分、野球をしっかりやらなきゃいけないというのもあります。
引用:日刊スポーツ
そんな押切もえさんは涌井秀章さんの7歳上であり、姉さん女房です。
もともとプロ野球選手の場合、姉さん女房が多いですよね。



涌井秀章さんが年上と結婚されたのも、もしかしたら姉・ひとみさんの存在があったからかもしれませんね。
まとめ
涌井秀章さんは
- 父・孝さん
- 母・たつ子さん
- 姉・ひとみさん
という家庭で育ちましたが、父・孝さんは非常に厳しい方だったようです。
その反面、母・たつ子さんは優しく、涌井秀章さんはお姉ちゃん子だったということもあり、野球を続けられたのかもしれません。
そんな涌井秀章さんには2025年現在は妻・押切もえさんと2人の子を持つ父親です。
自身の家族のためにも、これからも涌井秀章さんには活躍してもらいたいですね。
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